江戸時代後期、日本中を巡り一千体を超える仏像を彫り続けた木喰明満上人(通称 木喰上人)。享保三年(1718年)に甲斐国八代郡古関村(現 山梨県身延町)の農家に生まれ、十四歳で江戸に出て奉公に励むも封建社会下の不平等さから二十二歳の時に出家。四十五歳で木喰戒(木の実しか口にしない厳しい修行をする僧)を受け、五十六歳になると自ら発願した日本廻国の旅に出て、各地で数多くの仏像を彫り後世に遺しました。
木喰仏の像容には、凄まじいまでの制作意欲と宗教的実践を経た思いが反映され、八十歳以降に彫られた像の尊顔には微笑みが見られるようになります。九十歳に至るとその業は一層冴えわたり、後年、宗教学者の小島通生氏が名付けた「微笑仏(みしょうぶつ)」と呼ばれる数多くの傑作を生み出したのです。
2018年は木喰上人生誕三百年の節目の年。続く2019年は柳宗悦氏が木喰仏と出会って95年目となります。民の幸せの為に生涯を捧げた偉大な作仏聖の功績を称え、三年を掛けて木喰仏の名品複製像三部作の制作を決定。
モデルに選ばれたのは、新潟の寺院が所蔵する木喰仏「如意輪観音像」です。
木喰上人87歳の時の作品で、柔和な微笑が極まる最高傑作の一つとされます。
人びとの願いを意のままに叶えるという如意輪観音の御利益も選定の決め手となりました。
原型制作は仏師 藤田燿憶氏に、彩色監修は篁千礼氏に依頼。庶民に寄り添う木喰の精神にならい、藤田仏師が入魂の技で彫り上げた原型をもとに、中国屈指の木彫工房で忠実な複製品に仕上げました。
彩色は、木彫彩色の正統後継者 篁千礼氏監修のもと、「イスム」の工房が担当。最終的に藤田仏師の監修を通し、直筆の署名と落款、エディション番号が像本体に入ります。
高い品質とお求めやすい価格を実現すべく生産工程を考慮し、皆さまの暮らしに寄り添う癒しと安らぎの仏像となりました。