戦国最強武将の誉れ高い越後の虎 上杉謙信が信奉した『泥足毘沙門天』降臨。義に生きた信義の武将 上杉謙信の守護本尊であり、心の支えであった『泥足毘沙門天」が、憤怒を秘めた鋭い眼光と他を圧する威容も誇らしく、重厚な青銅を纏いここに降臨!
毘沙門天を篤く信仰する謙信は、 越後の居城である春日山 城の中に毘沙門丸と呼ばれる聖域を設け、そこに毘沙門堂 を建立し毘沙門天の画像や像を祀っていました。 その中の一つに高さ40cmあまりの毘沙門天像がありました。
義に厚く、 信義にもとる戦いは生涯しなかったとされる謙信でしたが、当時の時代背景や越後を取り巻く情勢は安息 を許す暇も無く、 謙信は戦に明け暮れる日々を強いられま した。 そんな中、 久方振りに春日山城に帰揮し、 すぐさま 毘沙門堂へ参拝したところ、 堂内には泥で汚れた小さな足 跡が点在していました。 不思議に思いこの足跡を辿ると、 それは堂内に祀ってある毘沙門天像まで続いていたのです それを見た謙信は 「毘沙門天像が我と共に戦ってくださ っていた」と歓喜し、 それ以来、 上杉家中ではこの毘沙門 天像を 『泥足毘沙門天』 と呼ぶようになったのです。
四天王の中のリーダー格である多聞天は、仏法世界の中心 にある須弥山の北方を守護する神で、 それが単身で祀られ るとき毘沙門天となります。 毘沙門天を信奉する謙信の戦 は常に義に基づく戦いでした。 兵農分離が出来ていなかっ たという現実はありますが、 戦に勝ってもいたずらに領土 を拡大しようとしなかったのは、 それがまた新たな戦を呼 び、 結局民を苦しめることになるという信念があったから といわれます。 義のため、そして苦しむ民を救うため。 こ うした一貫性があったからこそ配下の兵からも厚い信頼を 得て、打てば響く見事な主従関係により強い軍隊が生まれ 謙信は戦国最強の名将と呼ばれるまでになったのです。 謙信が戦いのときに用いた旗は「毘の一字旗』 と 『懸かり 乱れ龍』ですが、いうまでもなく 「毘」の一文字は謙信が 信仰する毘沙門天を表すものです。
『泥足毘沙門天』 は、 上杉謙信を愛する全ての人に自信を 持ってお薦めできる逸品です。 仏教では北方の守護神であ り、七福神の一神として無病息災と財福の神としても信奉 される毘沙門天は、 貴家の守護本尊としてお祀りすること で末永い繁栄をもたらす一助となることでしょう。