大光山本圀寺
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寺院からのお知らせ
平成16年8月22日
本圀寺ホームページリニューアル!
平成15年5月23日
仁王門及び新書院落慶法要が行われました。

建長5年(1253)8月、日蓮大聖人が鎌倉松葉ヶ谷に構えた法華堂を始めとする。
弘長3年(1263)5月には大光山本国土妙寺として創立された、
宗門史上最初の祖跡寺院。
光厳天皇の勅諚を受けた四世日静聖人により、
貞和元年(1345)3月に京都六条へ移遷。
現地・山科へ移ったのは昭和46年(1971)である。



大光山本圀寺の歴史

 当本圀寺は大光山と号する日蓮宗の大本山で、その歴史は今を遡ること七五〇年前の建長五年(一二五三)八月、高祖日蓮大聖人が鎌倉松葉ヶ谷に御小庵を構え、法華堂と号したことから始まる。伊豆法難後の弘長三年(一二六三)五月、大光山本国土妙寺として創設された宗門史上最初の祖跡寺院である。御法難、遠流によって御出入りはあられたものの、二十二年にわたる立正安国論の国諫運動を展開された、日蓮大聖人の御生涯の中心となるもっとも大切な布教の根本道場である。日蓮大聖人の身延入山および御入滅後は日朗聖人、日印聖人、日静聖人が護山継承され、ときの政治の中心鎌倉にて幕府の強圧と闘いながら、正法宣布の使命遂行に当たられた。

 北条幕府が滅び、政治が鎌倉から京都に移った貞和元年(一三四五)三月、日静聖人の時代、この霊跡大光山は光厳天皇の勅諚によって京都六条に東西二町・南北六町にわたる広大な永代寺領を賜り、鎌倉松葉ヶ谷から京都へ立正安国・国祷護国の大道場本圀寺として移遷されるに至った。

 貞和三年(一三四八)五月十五日、日静聖人は光明天皇から「六条本圀寺は日蓮正嫡の道場と為て 殊に閻浮第一の釈迦仏を安ず 今日供養の旨 聞食し訖んぬ 弥々法華の功力を抽て 宜しく四海泰平の精誠を致さるべし者 天気 此くの如し 之れを悉せ 以て状す」という正嫡付法の綸旨を賜り、三位僧都に任命される。日静聖人の父は上杉頼重、母は足利氏の女といい、ときの将軍足利尊氏の叔父にあたるという。このような背景から皇室の庇護と幕府の外護を受け、さらには大衆の尊信を集めて開花隆盛を迎え、記録に残る一大華麗な大堂、仏殿、山門諸堂の大成となり、続いては鎌倉よりの猿畠山法性寺、外四大坊をはじめとする末寺諸坊の移建をみることとなった。

 代々勅願道場として栄えてきた本圀寺は西の祖山とも呼ばれ、数代におよぶ天皇の御綸旨十余通を所蔵している。比叡山延暦寺を御所の艮(鬼門の北東)とすると、本圀寺は坤(裏鬼門の南西)にあたり、その配置からも平安京皇室の鎮護の祈願所たる権威をうかがい知ることができる。

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行事案内

仁王門及び新書院落慶法要 
平成十五年五月二十三日

式次第
先、道場偈
次、勧請
次、自我偈
次、咒蛇羅
次、開眼修法
次、法楽言上
次、表白文
次、唱題 散華一匝 本堂太鼓
次、祈願回向
結、奉送