大光山本國寺  
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仁王門及び新書院落慶法要
七百五十年慶讃音楽大法要

行事案内

仁王門及び新書院落慶法要
平成十五年五月二十三日

式次第
先、道場偈
次、勧請
次、自我偈
次、咒陀羅
次、開眼修法
次、法楽言上
次、表白文
次、唱題 散華一匝 本堂太鼓
次、祈願回向
結、奉送


霊山一会厳然未散南無輪円具足正像末弘の大曼荼羅御本尊、南無久遠実成本師釈迦牟尼仏、南無一乗妙法蓮華経、南無本代上行、松葉ヶ谷本圀寺御開山高祖日蓮大菩薩、第二祖大国阿闍梨日朗菩薩以来歴代如法弘通勲功の先師大和尚。
 別しては当山々内に勧請し奉る。鎌倉殿中問答勝利大黒天。鬼子母尊神。十羅刹女。殊には女人守護危難救護の九名皇諦女。更には九頭龍銭洗弁財天。清正公神祇等。総じては一乗擁護の諸天善神来臨影現知見照鑑の御前において、内外緇素と倶に恭しく一乗円頓の法莚を張り経王醍醐の法味を捧げ、立教開宗七百五十年。当山開創七百五十年の嘉辰を慶讃し。
 護山会による新書院の新築落慶及び旧洛中本圀寺より移転以来安住の場なく、やむなく本堂両脇に安置されおりし密迹。執金剛をここ新仁王門を造立し、更に御像の修復を重ねて、本日の吉辰をし華を散じ、開眼の秘法を修し奉る者也。これはこれ鎌倉期の仏師運慶が二十八代目の孫、常慶の作也。
 而して当仁王門こそ、当本圀寺の山号の由来するところの「大光普照」にちなみ、御尊体を始めとし当然屋上の鯱鉾に至るまでことごとく黄金色を用い、この御威光を千里の彼方まで普く照らすべく念じた所作也。
 今茲に燦然として聳え立つ威容は、けだしかつての法華総本寺にふさわしいものと自負し、法悦極まりなく感激また新たなるものあり。
 本日一山の清象、遠近有終之各聖各位、相集い完成祝賀の法筵を張り、宗祖立教開宗七百五十年、当山開創七百五十年を慶讃し、以って仏祖の慈恩に謝し奉る者也。
 重ねて願わくは仏祖三宝守護の善神等、当山復興の大業に加被を垂れ給わんことを。更に祈らくは復興寄付丹精の面々、現当二世の所願を円成せしめ給え。
 経に曰く、我此土安穏天人常充満園林諸堂閣種種宝荘厳南無妙法蓮華経。

 維時平成十五癸未年五月二十三日

    正嫡付法大本山本圀寺第六十八世伝灯

稽首和南

七百五十年慶讃音楽大法要

式次第

第一鐘 一時三十分
第二鐘 一時四十分

先、灑水散華
次、開式
次、初楽 導師昇堂
次、三宝礼
次、欲令衆 四仏知見(訓)
次、宝前法楽 修法士


  慶讃音楽大法要 慶讃文

 慎み敬って仏祖三宝の御宝前において、山門今日、恭しく清浄の大衆と共に宗祖立教開宗七百五十年慶讃、当大光山本圀寺開創七百五十年記念式典をあわせもって報恩の音楽大法要を厳修し奉る。
 それ惟みれば、日蓮大聖人、建長五年四月二十八日、聖寿三十二才にして清澄山旭が森にて初めて南無妙法蓮華経と唱え奉り、清澄寺道善房が持仏堂南面にて法華経の法門を説き給い、知恩、報恩の誠を捧げ、一切衆生を仏道に導き給う。これ即ち立教開宗にして正法弘通の始めなり。明らかなること日月にすぎんや、浄きこと蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり、故に妙法蓮華経と名付く。日蓮大聖人また日月と蓮華の如くなり。
 宗祖大聖人自ら日蓮と名のり、本仏釈尊の示し給う衆生成仏の誓願を体し、上行等、地涌の菩薩の法華経弘通の誓願を一身に継承し、我日本の柱とならん。我日本の眼目とならん。我日本の大船とならんと誓い給いて、南無妙法蓮華経の光明を以って無明煩悩の闇を照らし給う。
 日蓮大聖人の誓願は、お題目を唱え、弘めることにあり。南無妙法蓮華経を唱えすすめること、母の赤子に乳を入れんと励む大慈大悲の心なり。
 日蓮大聖人、大難を忍びて立正安国の誓願を高くかかげ、あまねく衆生を救い、国土の安穏に身命を捧げ給う。
 時移りて七百五十年、邪法はびこり、戦火は常に絶えず、自然の破壊は止まるところを知らず。生老病死の苦しみは益々充ちあふれ、末法の暗闇いよいよ深し。かかる時にありてこそ、宗祖日蓮大聖人の誓願が使命なり。
 時あたかも、当山もまた開創七百五十年なり。即ち当山は元松葉ヶ谷にして、宗祖日蓮大聖人、建長五年四月二十八日開宗を宣されるや同年八月二十六日、時の北条幕府の本拠地鎌倉に出でて小町の辻に立ち正法弘布の辻説法を始められる。その時の草庵、即ち松葉ヶ谷道場法華堂に由来し、弘長三年(一二六三)破壊されていたこの本堂を再興し、これを大光山本圀土寺と号したのである。以後、日朗聖人、日印聖人と続き、貞和元年(一三四五)第四祖日静聖人代に至り時の天皇光厳帝の勅諚により、京都六条の地に東西二町、南北六町にわたる広大な永代寺領を賜り国祷護国の大道場本圀寺として移遷され、鎌倉の旧地は石井山長勝寺となったのである。
 而して静師の後を受けついだ五祖日伝聖人以後は、六条門流の隆盛期にして法運は年と共に栄え、かの天文の法乱後の天明の大火でも経堂ことごとく消失せしが、十六祖日ヱ蝌a尚、二十祖日隆、二十六祖日達、二十九祖日解、三十四祖日脱、三十五祖日陵大和尚等々正嫡付法され、更に三村日修・旭日苗等の諸先師が当山及びその求法檀林の法座より起ち、宗門史上に不滅の法勲を残せり。
 しかるに故あって昭和四十四年(一九六九)洛中六条の地を追われる如くここ山科に移転せざるを得ず、その後まったく空白の二ヶ年を経て昭和四十六年(一九七一)六十三祖沙羅樹院日瑞大和尚こと伊藤日瑞猊下の晋董を得て、やっと現在の釈迦堂、客殿、書院等の再建が行われるも、その復興に対する心労により惜しくも昭和五十五年五月七日世寿六十六才の若さをもって代を他に移さる。その後の復興は遅々として進まず、かかる最中にあってはからずも某日鑒にそのお役が巡り来りし也。
 即ち時あたかも大光山四祖日静聖人が当本圀寺をしてここ京洛の地に移遷以来、将しく六百五十年目の平成六年十一月七日、これまた松葉ヶ谷の五十四世のこれまた不肖日鑒が当山に晋董。以来今日迄十年の節目也。よってもって沙門某入山奉告の式典にあたり心して当山の復興を誓願せしこと昨日の如く脳裏にあり。以来、先ず関白秀次公の母君、村雲瑞龍院尼寄進の大梵鐘の修復、あわせて総欅造りの鐘楼の再建、九龍銭洗弁財天の奉祀、女人守護九名皇諦女の奉祀、茶芸閣の新築等々を完成し、平成八年十一月六日より三日間、日朗聖人生誕七百五十年及び京都移遷六百五十年の記念式典を厳修せり。以来更に今日に至る迄、正嫡橋の補修、客殿の屋根替、本師堂内部の整備、これには特に第八十九祖本成院日遠大和尚こと北海道女満別妙行寺前のご山主岡耐行猊下ご夫妻の献身的なお力添えがあってのことなり。而して清正公廟の整備、特に大鳥居の改修、宝物庫の新設、そして今回に備え護山会各聖各位による新書院の新築。某し念願の仁王門の新築。本堂内部の整備。これにつけても特信者株式会社ファンケルの社長池森賢二氏及び明子様ご夫妻の寄進による、不動明王、愛染明王の安置。将しく変代の人々のご光来により今日の盛儀を迎えられしことおよびもつかず。
 これひとえに当山ご開山高祖日蓮大聖人を始め歴代の諸先師に鴻恩の万一に報ぜんと欲する所業なり。こい願わくは重ねて高祖日蓮大聖人、第二祖日朗聖人、第三祖日印聖人、第四祖日静聖人、第五祖日伝聖人、以来歴代伝灯の各大和尚快くこれを納受し給わんことを。
 我等今この慶讃大法要を虔修するにあたり、宗祖立教開宗の意義を思うと共に当山開祖日蓮大聖人の誓願を継承し、異体同心の祖訓を奉じて、宗徒としての気概を顕揚せんことを誓い奉る。
 仰ぎ願わくは大慈照鑑を垂れ給い、山内鎮静、寺門繁栄、天下泰平、令法久住、浄財喜捨の面々信力いよいよ堅固にして正念相続し、家運栄昌にして子孫長久ならんことを。また願わくは当山開基以来、歴代々之各聖人、大和尚増円妙道、宝地荘厳、報恩謝徳、更には本日参集の面々、当山有縁之檀信徒の面々等、各家先祖代々之精霊、総じては当山開基以来有縁無縁之一切の霊位、仏果増進なさしめ給え。
 南無妙法蓮華経。

 維時平成十五癸未年五月二十三日

   元松葉ヶ谷大光山本圀寺第六十八世伝灯

                                 和南